[パンフレット] 353作品

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解説、プロダクションノートはパンフレットの表記そのままで掲載していますので誤字・脱字・旧字・旧仮名づかい等があります。ご了承下さい。

<ハ行>

ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録
ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場
パーフェクト サークル
始めか終わりか
パットン大戦車軍団
ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど
パラダイス・アーミー
針の眼
遙かなる帰郷
遙かなる戦場
バルジ大作戦
パワープレイ
ハンバーガー・ヒル
ピエロの赤い鼻
ビスマルク号を撃沈せよ!
ヒトラーかく敗れたり
ひまわり
ヒンデンブルグ
ピンク・フロイド ザ・ウォール
ファイナル・カウントダウン
ファイヤーフォックス
フィラデルフィア・エクスペリメント
風雪の太陽
フォレスト・ガンプ 一期一会
深く静かに潜航せよ
武器よさらば
不滅の守備隊
プライベート・ライアン
プラトーン
ブラス・ターゲット
ブラックホーク・ダウン
ブリキの太鼓
ブルースが聞こえる
フルメタル・ジャケット
プレシディオの男たち
平和の谷
北京の55日
ベルリン陥落
ベルリン大攻防戦
ボージェスト
冒険者
ぼくの神さま
誇り高き戦場
北極の基地 潜航大作戦
ホット・ショット
ホット・ショット2
炎628

 

ひまわり
(リバイバル)

1974年10月発行
発行権者:バート ビー リビングストン リミテッド
A4版24P

[解説]

人間の心にしみじみ訴えてくる映画というのは数少ないものだが、この作品は幾度となく戦争を経験してきた人間にとって、深い共感をもって迎えられるだろうと思う。
ビットリオ・デ・シーカ監督が10年という年月をかけて準備し、構想を練ったというのもひとえに、彼が自分の仕事の総決算として、あらゆる人間、あらゆる階層の人たちに訴えかけられる作品を創りたいという素朴な熱意があったからである。
デ・シーカと製作のカルロ・ポンティ、総指揮のジョゼフ・E・レビンの呼吸は「ひまわり」の製作でぴったりとあい、最大の難関、ソ連国内のロケという問題もみごとに解決することができた。
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニも、デ・シーカとのつきあいは長い。いってみれば、同族みたいなものである。
こういう気心知れたどうしでの撮影は快調に進んだ。
ソ連国内を訪れたロケ隊一行は各地で大歓迎をうけ、とくに人気最高のローレンは手に持ちきれないほどの花をもらってうれしい悲鳴をあげる始末。
花をあげるというのはソ連の歓迎の風習なのである。
とくに特筆されるのはリュドミラ・サベリーエワの参加だろう。
清楚な美しさで「戦争と平和」のナターシャで日本にも忘れ得ない印象をのこしたサベリーエワはその後も着実に女優として成長をとげ、いまや押しも押されぬソ連の第一線女優である。
この作品で国際女優の仲間入りをした彼女にすでにいくつかの話が持ちこまれている。
善意の庶民が、思いもかけない戦争のために別離をよぎなくされ、また再会し、苦しむというテーマは、ローレン、マストロヤンニ、サベリーエワという三大スターのすばらしい演技でみごとに結晶されているといっていい。
デ・シーカは完成後の記者会見でこういっている。「ひとりぼっちで夫を探しに長い旅に立つという話は、ユリシーズの流浪の旅に似ているでしょう」「彼女の一歩一歩がそのまま彼女の、いや人間の人生そのものなのです」
「ひまわり」はローレンにとっては実に2年ぶりの作品。2年のブランクは愛児ポンティJ rの出産も含まれているが、ポンティJ rもワンカット出演しているのも話題です。
なお、この作品で、彼女は、1970年度、イタリアのオスカー賞といわれる「デビット・オブ・ダンテロ」賞のイタリア最優秀女優賞を受賞、マストロヤンニはまた同じく1970年度のカンヌ映画祭で最優秀男優賞を獲得している。
さいごに忘れてはならないのは、この作品の音楽。「ティファニーで朝食を」 (ムーンリバー)や「酒とバラの日々」でアカデミー音楽賞を受賞し、今はなきビクター・ヤング/アルフレッド・ニューマンのあと映画音楽には定評のあるヘンリー・マンシーニが担当している。
哀切きわまりない音楽は各局のヒット・パレードの上位を占めた。

[プロダクション・ノート]

「ひまわり」はイタリアからロシアヘ、ロシアからイタリアヘと舞台が移動する。ナポリやミラノはともかく、ソ連のさまざまな地域というのは映画ファンにとってはやはりフレッシュなニュースというべきだろう。
極端にいえば、この映画の背景になっているモスクワの風景や広大なウクライナ地方のひまわり畑、ドン河沿いの農家のたたずまいなど、単に背景というだけでなく、ドラマの重要な一端を担っているといってもさしっかえないほどだ。
総指揮にあたったジョゼフ・E・レビンと製作のカルロ・ポンティの二人は、この映画の撮影にあたって、どうしてもソ連国内でのロケはやりとげなければならないということで意見が一致した。
だがそれはとても困難の多い仕事だった。ポンティのことばを借りれば、「ソ連映画のカーテン」は1960年代まではずっと閉ざされたままだったからだ。
そのカーテンを開こうと、レビンとポンティは何度もモスクワに足を運び、シナリオに盛られたテーマを説得し、ロケの許可を要請した。その結果、ついにソ連当局も折れて、はじめて外国のカメラが、ソ連国内の奥深く入ることになったわけである。
ひまわりといえば、残暑のころ、庭に西日をうけて光り輝くぐらいのイメージしかもっていない日本人にとって、この映画に出てくるウクライナのひまわり畑は大変なおどろきだろう。西日に頭をたれるひまわりの姿は華やかであると同時に哀しい。それは太陽(男)をおいかける哀しい女心とも受け取れる。
栽培されているとはいえ、見わたす限り、地平線まで広がるひまわりの花、花……。スケールの大きさをしみじみと痛感させられる。
ひまわりは第二次世界大戦でナチにいためつけられたソ連国民にとっては希望の象徴だったが、ソフィア・ローレン粉するジョバンナにとって、このひまわりはどう映ったことだろう。哀しい女の恋心をひしひしと感じとったに違いない。