[パンフレット] 353作品

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解説、プロダクションノートはパンフレットの表記そのままで掲載していますので誤字・脱字・旧字・旧仮名づかい等があります。ご了承下さい。

<ハ行>

ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録
ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場
パーフェクト サークル
始めか終わりか
パットン大戦車軍団
ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど
パラダイス・アーミー
針の眼
遙かなる帰郷
遙かなる戦場
バルジ大作戦
パワープレイ
ハンバーガー・ヒル
ピエロの赤い鼻
ビスマルク号を撃沈せよ!
ヒトラーかく敗れたり
ひまわり
ヒンデンブルグ
ピンク・フロイド ザ・ウォール
ファイナル・カウントダウン
ファイヤーフォックス
フィラデルフィア・エクスペリメント
風雪の太陽
フォレスト・ガンプ 一期一会
深く静かに潜航せよ
武器よさらば
不滅の守備隊
プライベート・ライアン
プラトーン
ブラス・ターゲット
ブラックホーク・ダウン
ブリキの太鼓
ブルースが聞こえる
フルメタル・ジャケット
プレシディオの男たち
平和の谷
北京の55日
ベルリン陥落
ベルリン大攻防戦
ボージェスト
冒険者
ぼくの神さま
誇り高き戦場
北極の基地 潜航大作戦
ホット・ショット
ホット・ショット2
炎628

 

ブルースが聞こえる

昭和63年9月3日発行
発行所:東宝出版事業部
定価300円
A4版24P

[解説]

 日記を開くたびに思い出す。出逢った時にはワルで憎らしかったが、別れてみると無性に懐かしくなる友のことを。あんな友にもう二度と全うことはできない。短くも光り輝く、人生にとってかけがえのない時だった‥‥‥。
 全米で公開されると同時に、「アメリカン・グラフィティ」のユーモアとセンス、そして「スタンド・バイ・ミー」のノスタルジーを合わせ持ち、それら青春映画の頂点に立つ名篇と、マスコミや観客に大絶賛され、ヒットした話題作の登場である。
 ミシシッピー州ビロクシ。高校を卒業したばかりで徴兵された若者が全米から、ビロクシ訓練所に集まって来た。ワイコフスキー、エブスティン、カーニー、セルリッジ、ヘネシー、そしてジュロームの6人の新兵。それに、クールなトゥーミ一軍曹。1945年、6人の若者は燃えるような時の中で、二度とめぐりあえない一生の思い出を綴っていくことになった。
 育ちも性格も違う6人の若者。少年の心と大人の体を持ち合わせた彼らは、ビロクシに向かう列車の中で戦時下とは思えぬパワーで語り合う。そんな歯に衣を着せずに浴びせられる言葉や態度を、ジュロームは克明に日記に書きとめていた。
 青春のエネルギーを爆発できずにいる彼らを待ちうけていたのは、一見、物腰は静かだが陰険なトゥーミ一軍曹。彼は基礎訓練キャンプでの厳しい訓練で、6人の若者を叩き上げていく。次々に起こる災難や事件、故郷を離れたばかりの6人の若者にとって、それは初めてにして最大の人生の爽やかな驚きだった。彼らは2ヵ月間の軍隊生活の中で、少年から大人へと成長していった。人生を教えてくれた数多くの思い出に包まれながら‥‥‥。
 後に作家となったジュロームの日記を基に、回想として描かれるこの作品は、心の中の小さな宝石のように輝き続ける失われた青春への限りないノスタルジーである。それに心優しいユーモアを添え、少年期に訣別する若者の姿を力強く詩情豊かに描いた感動作で、本年度のベスト・テンのトップを狙うにふさわしい名篇である。
 純情なジュローム、文学的才能のあるエブスティン、タフで激情家のワイコフスキー、歌を愛するカーニー、元気者のセルリッジ、家族想いのヘネシー、そして、時々奇行に走るトゥーミ一軍曹、その誰もが、観る者の記憶の中に眠っていた、かつての友を思い起こさせてくれることだろう。
 「グッバイガール」や「第2章」などの脚本家として広く知られるニール・サイモンが、「ブライトンビーチ・メモワール」等と共に自らの人生を回想して綴った3部作からなる戯曲の中の一篇「ビロクシ・ブルース」の映画化である。
 製作は、「追憶」や「摩天楼はバラ色に」のレイ・スターク。80年にアカデミー賞のアービング賞を受賞したスタークは、ニール・サイモンとは10本目のコンビ作。
 監督は、「卒業」でアカデミー賞を受賞、その後も、「愛の狩人」「イルカの日」「心みだれて」等、数々の話題作を演出しているマイク・ニコルズ。彼は63年に、トニー賞受賞の「裸足で散歩」でブロードウェイの演出家としてデビュー。以来、同作の脚本家であるニール・サイモンとは3度に渡り舞台劇で共同作業をし、初めて映画でコンビを組んだ「初めてという感じはしないし、全く心配はしていなかった」とサイモンが語るように、2人はこれまでに培った英知を結集、繊細で理知的な映画を作り上げた。
 主人公のジュロームを演じるのは「ウオー・ゲーム」「レディホーク」のマシュー・ブロデリック。その他、ヘネシーには「ハンバーガー・ヒル」のマイケル・ドラン、セルリッジには「ザ・ヒート」のマーカス・フラナガン、エブスティンには「エンゼル・ハート」のコリー・パーカー、カーニーには「バック・トウ・ザ・フューチャー」のケーシー・シモシュコー、ワイコフスキーにはマット・マルハーンが各々扮している。
 特に本作で注目されているのは、トゥーミ一軍曹を演じたクリストファー・ウォーケンの見事な演技。「ディア・ハンター」でアカデミー賞肋満男優賞を受賞して以来、多くの作品に出演してきたが、本作は彼の代表作になるだけでをく、アカデミー賞の最有力候補と賛辞を集めている。
 ミシシッピーの景色を抒情的に捉えた撮影は「ロッキー4・炎の友情」のビル・バトラー。かつてのスタンダードの名曲「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」などの甘美なメロディーをモチーフにした音楽は、「プラトーン」「サルパドル・遥かなる日々」の売れっ子、ジョルジュ・ドルリューが担当した。

[プロダクション・ノート]

★主要な部分の撮影は、1987年4月18日から6月24日まで、アーカンソー州フォート・スミスの近くにあるフォート・チャフィーで行なわれた。フォート・チャフィーでは主に軍施設が撮られ、それ以外はアーカンソー州フォート・スミス附近の幾つかの町、バーリング、チャールストン、ヴァン・バレン等で撮影された。
 フォート・スミスは1817年に、この地方で初の軍事的城砦として築かれて以来、長い歴史をかいくぐってきた由緒ある地、トーマス・スミス将軍に因んで命名されたこの砦は、南北戦争を通じて使われた後、1871年に軍事的には見捨てられた。南北戦争後に町は砦の名を継ぎ、25年間は砦の建物が地方裁判所として使用されたという記録が残っている。
 フォート・チャフイーは、監督のマイク・ニコルズとプロダクション・デザイナーのポール・シルバートが、ビロクシ訓練所として使えそうな場所をロケ・ハンして回った時に決定した。というのは、ビロクシにある現在のキャンプは空軍の基地になった上、第2次世界大戦後に改築されてしまったため使えなかったのだ。シルバートと彼のスタッフはビロクシ歴史協会を通じて、1939年から45年までのビロクシを綴った本などを参考にして克明に調査。その過程で、フォート・チャフィーに残っていた「1945年の基地の姿」と題された当時発行の写真記録や、雑誌「ライフ」を入手することができた。その結果、フォート・チャフイーが現存する基地の中で最も古い建物を有しており、それらのいくつかは40年代に建てられて以来、全く手が加えられていないこともわかった。現在、合同準備訓練センター(JRTC)の一施設として、州軍及び陸軍予備部隊の訓練に利用されているこのフォート・チャフィーを使って、ビロクシ訓練所の主なシーンは撮影された。

★監督のニコルズは、1940年当時の音楽、服装、流行文学、漫画(特にビル・モールディンの風刺漫画「ウイリー・アンド・ジョー」)、映画を使うことによって、主人公の思い出をより鮮烈にし、40年代特有の雰囲気や、恋愛、人生といったものが現実以上に誇張された状況を生み出したいと思っていた。そこで考えついたのは、画家のノーマン・ロックウェルが描く40年代のスタイルをとるということ。ロックウェルの作品は、シリアスな題材を扱いながらも、無邪気さや明快なイメージ、心の機微、ユーモアといった要素がほど良く組み合わされており、純情な若者が戦争によって唐突に大人の世界に投げ込まれるというニール・サイモンの戯曲には、正にうってつけだった。40年代当時を知る最良の手掛かりとしてロックウェルを選ぶということに関して、ニコルズとポール・シルバート、撮影監督のビル・バトラーの意見は完全に一致した。その基本コンセプトは、ロックウェル的暖かさと明るさの中に、ときおり露わになる軍事訓練の動かしがたい現実、ということだった。

★過去に4度に渡って舞台劇でコンビを組んだニール・サイモンとニコルズ。だが、映画で共同作業をしたことはなく、本作品が記念すべき初の映画ということになった。「初めてって感じは全くしないけど、本当に初めてなんだ」と語るサイモンが、フォート・スミスに顔を出したのは、リハーサルの2週間だけだった。「マイクをすっかり信用していて、期待を裏切られるはずがないと思ったからだ。一緒の食事をする時も、電話ででも、何から何まで話し合った。その結果、戯曲にはなかったが、彼が映画で表現する要素というのがはっきりわかったんだ。とにかく、話し合えることは全て話し合ったと思うよ」
 ニール・サイモンは、何も危惧することなく、ニコルズに全てを託した。

★最後の撮影は、兵士達がビロクシ訓練所に列車で発着するシーンだった。汽車の内部と外部が撮られるため、当時そのままの蒸気機関車と10人乗り客車が、ファンタジア電車鉄道機材取引所から借り出された。No.750型蒸気機関車は、第2次世界大戦中に実際に兵士を乗せて、ジョージア中部とビロクシの間を走っていたもので、1910年に作られた石炭燃焼型の“パシフィック”タイプ。10人乗りの客車は、エリー鉄道のために、プルマン・スタンダード社が1920年に製造したものだった。
 これらは全てオリジナルで、昔のスタイルのシート、固定照明、屋根下の通風窓がついた天井、荷物棚、ファン、開放窓などが備えつけてあるもの。同じタイプのこの車両もまた、第2次世界大戦中に、アメリカ北東部から南部の基地まで、兵隊を来せて運んだという。この他の実物大の客車の模型2台と、本物の客車1台が、撮影のために解体された。