[パンフレット] 353作品

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解説、プロダクションノートはパンフレットの表記そのままで掲載していますので誤字・脱字・旧字・旧仮名づかい等があります。ご了承下さい。

<ア行>

アイアン・イーグル
愛と哀しみのボレロ
愛と青春の旅立ち
愛の嵐
愛の落日
愛欲と戦場
赤いベレー
暁の7人
暁の出撃(1954)
暁の出撃(1970)
暁前の決断
朝やけ雲
あしやからの飛行
あの高地を取れ
あの日あのとき
アパッチ
ア・フュー・グッドメン
アメリカ上陸作戦
嵐の中で輝いて
荒鷲の翼
アリスのような町
暗殺の森
アルジェの戦い
アンダー・ファイア
アンネの日記
アンボンで何が裁かれたか
生き残った二人
生きるべきか死ぬべきか
今は死ぬ時でない
ウインドトーカーズ
ウォー・ゲーム
栄光の戦場
栄光への戦い
映写技師は見ていた
エクスタミネータ
エニグマ
エネミー・ライン
エル・アラメン
エンテベの勝利
大いなる希望
大いなる幻影

男の魂
オデッサ・ファイル
オフサイド7

 

 

アンネの日記

1959年9月発行
A4版12P

[解説]

 大戦中、ナチの強制収容所に収容され、その惨ましい犠牲となったオランダ人とユダヤ人の混血娘でドイツで生れたアンネ・フランクが生前書き残した日記をテーマとしたフランセス・グッドリッチとアルバート・ハケット共作のピュリッツァー受賞劇「アンネ・フランクの日記」の映画化で、五一年に「陽のあたる場所」で、五六年に「ジャイアンツ」でアカデミー監督賞を獲得し、また名作「シェーン」を放ち、二三年にアービング・サルバーグ賞を贈られたジョージ・スチーブンスが製作、監督した。
 ジョージ・スチーブンスは一九〇五年、カリフォルニア州オークランド生れ。父親ランダース・スチーブンスは劇団をもち、ジョージは五才のときこの劇団の初舞台をふんだ。第一次大戦後、映画の興行的進出がめざましくなったとき、早くもこれに眼をつけた父親ランダース・スチーブンスは家族を連れてロサンゼルスへやって来た。ここでジョージはカメラマン助手を振出しに、ギャグ・ライター、二巻物映画の監督を経て一九三〇年ルフィーチャー監督になり、ハル・ローチ・プロ、ユニバーサル、RKO、MGM等で活躍した。彼が監督としての地位を確保したのは三五年でキャサリン・ヘップバーン主演「乙女よ嘆くな」を出したときである。ワイラー、ジンネマン等とともに第一流に属する彼はその巧緻をきわめた演出技法によりパーフェクショニスト(完全主義者)の名を冠せられている。
 脚色者は原作劇を作者フランセス・グッドリッチとアルバート・ハケットで、この二人はフォックスでは最近「ある微笑」の脚色をした。
 音楽は「ある微笑」のアルフレッド・ニューマン。「アンネの日記」の作曲は彼の最近の傑作との呼び声が高い。撮影は「ジャイアンツ」のウィリアム・メラーズであるが、アムステルダムにおけるロケ撮影は「戦争と平和」、「王子と踊子」を撮ったジャック・カーディフが担当した。
 演出者はこの映画で華々しく登場したニュー・ジャーシー州生れ、モデル出身の新星ミリー・パーキンス、オーストリア出身で三七年に「ゾラの生涯」でアカデミー助演男優賞を得たジョセフ・シールドクラウト、(彼は五五年十月からブロードウェイを振出しに、五八年二月まで続演された舞台劇「アンネの日記」にも主人公オットーの役で出演し大好評を博している)「陽のあたる場所」、「黄金の銃座」に出演したシェリー・ウィンタース・アイオワ州出身で「終着駅」に初出演した新人リチャード・ベイマー、ウィーン出身の舞台と映画女優グスティ・ユーベル、カナダ・トロント出身のルウ・ジェイコビ、ロサンゼルス生れでモデル出身の新星ダイアン・ベイカー「初恋」のエド・ウィン等である。

[プロダクション・ノート]

★スチーブンス監督が、ハリウッドでセット撮影にかゝっている時、息子のスチーブンスJrは、英国の名キャメラマン、ジャック・カーデイフと共にロケ撮影におもむいていた。オランダの首都アムステルダムの石畳に大戦中の暗い雰囲気を再現しょうというわけだ。一行はロスから空路西のアムステルダムヘおり立った。今はスイスのバーゼルに住む隠れ家只一人の生存者フランク氏もロケに参加し協力した。
★アンネ役の応募者は一万二二四名いたが、実際アンネ・フランクという名の少女が三人いた。
★ミリーが主役に決定した数日後、ハリウッドのドラッグ・ストアでソーダ水をのんでいると、傍にいた御仁、“今フォックス・スタジオでアンネ役の少女を求めているから、ぜひキャメラ・テストをお受けなさい。貴女こそアンネだ!”とすゝめたという。
★アンネは日記の冒頭で“十三才の少女の打明け話など誰にも興味はないでしよう”と述べている。ところがこの日記は二六ヶ国語に訳されニーヶ国で上演された。
★アンネの日記が隠れ家の人々の好奇な目を逃れえたのはどうしてだろう…最近オットー・フランク氏の語ったところによれば、アンネは寝る前日記帖をフランク氏に手わたし、氏は鍵のついた書類カバンにしまっていたのである。そして彼は娘の信頼に答えて決して頁を開こうとしなかった。
★アンネは猛烈な映画ファンであった。隠れ家にもスターの写真多数を貼っていたのである。その為ガルボ・ダービン、レイ・ミランド、ジンジャー・ロジャース等のプロマイドが探され、更に使用権が支払われてセット入りした。それだけにアンネはハリウッド行きを生来の念願にしていたという。その望みが現在こういう形で実現したのである。
★セット撮影では隠れ家三階がぶっ通しのワン・ステージに建てられた。又、俳優達に自然な雰囲気で演技をさせる為セットの四面は完全に壁でかこみ、特別な必要のある本番のときのみキャメラの位置にあたる壁をはずしたのである。
★映画の中でラジオのBBC放送が出て来るが、チャーチル、ヒットラーアイゼンハワー等の当時の声を聞くことができる。
★アンネが叫び声を発する場面のテスト。度重なって声がかれては本番にさしつかえるのでテープにとって使用した。
★アンネの日記の原本が、参考としてハリウッドに送られたが十万ドルの保険がかけられた。
★ミリーは撮影中、隣のセットで“強制”に出演していたディーン・ストックウエルと仲むつまじく、撮影のない夜は彼と楽しい語らいをすごした。
★舞台劇の世界的なヒットは今更言をまたないが、西ドイツでのヒットはものすごいといわれる。
★フランク氏に扮するシルドクラウトは、舞台に続いて一一八七回目の父オットーを演ずるわけ。四三年間の長い舞台生活を引退するにあたって、これ程すばらしい幕切れはないと言っている。
★アンネ役及ベーター役のスクリーン・テストは最も難しいラヴ・シーンで行われた。いよいよそれが本番となり、ミリーとリチャード二人の気持をやわらげる為、セットではムード・ミュージックが流されスチープンスの演技指導が行われた。
★ベーターの母になるウィンタースはセットインを前にして風邪をひき、のどがはれてしまった。普通なら早速撮影延期になるところ、逆にフアンダーン夫人のイメージぴったりだとして監督は撮影を開始した。
★このウインタースは七年前「陽のあたる場所」でスチーブンス監督につき、絶賛の演技を示さたが、再度のターンが期待されている。
★ウインタース扮するフアンダーン夫人は爆撃の音におびえて夫のルウ・ジャコビにしがみつく。そのテスト数回……突然セットの隣で間違った大音響が起った。ジャコピは夫よろしくウインタースをかゝえこんだがあまりに勢よすぎてポケットのメガネを破壊。新らしいメガネをとりよせるまで、セットはメガネまちとあいなった。